音蔵寺の歴史
– history –

- 略縁起 -
当院は、鳴門市の市街地から西へ離れた広陵地にあり、寺の由緒は不明であるが、永正年間(1504~1520)からの過去帳を所蔵しており、中世以来の歴史を持つ高野山真言宗に所属する寺院です。
開創の頃は、姫田村の東北宮ヶ谷山麓にあり、愛染明王を本尊、恩蔵寺と称しました。
天正十年(1582)に大伽藍聳える姫田寳福寺が、長曽我部元親の乱により灰塵と化した後、奇しくも戦火を逃れた地蔵菩薩を奉請して新たな本尊として祀る。
以来いつの頃よりか音蔵寺と称し地元住民の心の拠り所として、また宗祖弘法大師の教えの実践の道場として多くの篤信の檀信徒に護り支えられ、師子相承して二十四代に亘ります。
- 五鈷杵 住職継承の証しとして受け継いだ宝具
- お導き地蔵尊
- 寺号額 揮毫は浅井證善師。欅の一枚板に仏師により彫刻彩色されました。

- 落慶法要 -
落慶法要とは、寺院で新築や修理の完成を祝う法要です。
音蔵寺本堂再建帳によると貞亨五年(1688)・宥厳上人代、宝永七年(1710)・宥賢上人代に再興とあります。
旧本堂は、継曜上人代に再建され、亨和三年(1803)正月に本堂再建を発願。
檀信徒共に同心戮力して浄財を集め、文化三年(1806)上棟式、翌年の六月に瓦屋根が完成。
文化五年(1808)四月吉日、目出度く落慶法要を厳修する。
年月を経ること二百有余年、来るべき大法会に備えて、数年前より檀信徒共に同心(どうしん)勠力(りくりょく)して浄財を集め老朽化した本堂の改築工事を実行。
平成二十六年(2014)再び檀信徒の檀那寺護持発展の想いが結実し、新本堂が見事に完成する。落慶記念として、お導き地蔵尊(木造彩色)を造立。
落慶法要を修行し、今まさに音蔵寺の新たな歴史の幕開けとなる。
- 晋山式 -
晋山式とは新たに住職となった僧がその寺に晋む(進む)ことを言います。
平成28年10月吉日に、住職となり既に10年近く過ぎましたが、歴史と伝統ある音蔵寺の二十四代住職を確かに継承したことを、
有縁のご住職さま達をお招きして、こ本尊ならびに多くの檀信徒へ儀式を通じてお披露目をし、盛大に祝うことが出来ました。
- 大法会 -
大法会とは、唐土においては恵果和尚が不空三蔵の為に、弘法大師は高雄の神護寺で弘仁十三年(822)十二月に
師である恵果和尚への報恩謝徳の為に修せられた真言宗の伝統ある法会であります。
当地の大法会は五百年以上も昔から、結衆歴代の先師尊霊の増進仏果と結衆各寺檀越の過去聖霊の滅罪追福菩提の為に、鳴門結衆十二ヶ寺が輪番にて執行、
各寺とも檀信徒一体となって修行し護ってきた当地方第一の法要であり、近隣に例を見ないほどの盛大な法要であります。